池脇バンクの競輪コラム。今回は【競輪を愛した麻雀の神様「阿佐田哲也」】をテーマにコラムをお届けします。
福井ヴィーナスカップ開催中に、この競輪コラムを更新することになったので、今回はレースを離れ、書きたかったことを書く。
直木賞作家、麻雀の神様と言われた阿佐田哲也さんのことである。
60歳で没したのが、昭和から平成に変わった1989年。
今は廃止になった花月園で競輪ダービー(日本選手権競輪)があり、筆者は阿佐田さんと一緒だった。
彼は競輪場でも神様で、茫洋とした人柄が多くの人を惹きつけた。
花月園の数日後、新聞社からの電話で急逝をしった。心臓発作だった。
ゆえに阿佐田さんは神山雄一郎(栃木)吉岡稔真(福岡/引退)のレースは見ていない。
書きたいのは、阿佐田さん頂点に集まった、後輩の作家、漫画家、将棋連盟の高段者、テレビ司会者などが絶えずマスコミに情報を発信したこと。
競輪はメジャーになり、バブル時代には売り上げが2兆円に迫った。
競輪応援団だった彼らが世を去り、思い出話に興じる相手が筆者にはいない。それが悔しい。
施行する側は気づいてくれないが、競輪に物語を求めるファンは競輪のもう一つの主役である。
車券は夢の符箋。推理、自己主張だ。
阿佐田さんじゃ感受性が細かで車券もあれこれ手を広げた。
阿佐田さんが去って、30回目の祥月命日がくる。
あらゆる遊びの中で、一番面白いのが競輪、一生楽しめると彼は語っていた。